神前式のススメ「神社結婚式振興会」日本人なら神社の結婚式で

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人生儀礼とは

「和」「社」「祈り」「稲穂」「常若」など、
日本には古くから神々を敬うこころがあります。
それらをひとつひとつひもといていき美しい映像と音楽で皆様にお届けしています。

常若(とこわか)

瑞穂の国は、常に若々しくあり続け、命の輝きを未来へ伝えます。

瑞穂の国は、常に若々しくあり続け、命の輝きを未来へ伝えます。

「常若」の精神を伝える、20年に一度の大祭「式年遷宮」

「常若」の精神を伝える、20年に一度の大祭「式年遷宮」

四季折々に巡る自然の中、その恵みのもとに生きてきた日本人は、神々からいただいた「いのち」を尊び、常に若々しく輝かせ、子孫に伝えたいと願ってきました。
伊勢神宮の式年遷宮は、その「いのち」が常に輝くことを祈る日本人の「常若」のこころを伝えています。 式年遷宮は20年に一度、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)、また十四ある別宮の御社殿を造り替え、御装束・神宝もすべて新調して、神々をお遷しする日本最大の祭りです。 およそ千三百年前、持統天皇4年(690年)に第一回が行われてより、約千三百年にわたり継承されてきました。
古式のままに社殿を造り替え、神々にお遷りいただくことで、日本人は「いのち」が常に輝き、国が若返り、永遠に発展するよう祈ってきました。日本の原点を継承する伊勢神宮に、多くの人々が心を寄せています。平成二十五年、伊勢神宮は第六十二回式年遷宮を迎えます。

和(わ)

天地の神々を尊ぶ国には、平和と調和を重んじる和の心があります。

天地の神々を尊ぶ国には、平和と調和を重んじる和の心があります。

天津神・国津神の「国譲り」の神話に込められた、日本人の和の心

天津神・国津神の「国譲り」の神話に込められた、日本人の和の心

日本には古くより、「八百万(やおよろず)の神」と表現される様々な神々が、大切にお祀りされてきました。この八百万の神の中に、「天津神(あまつかみ)」と「国津神(くにつかみ)」がおられます。天津神とは、天照大御神をはじめとする、高天原(たかまのはら)の神々のことです。国津神とは、葦原中津国(あしはらのなかつくに)、豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)などと呼ばれた日本の国土に、古くから住んでいた神々のことです。
日本の神話には、天津神が中津国である日本を高天原のような素晴らしい国とするために、平和のうちに国土を国津神から譲り受け、天津神と国津神がともに協力して、豊かな国土を築いてゆく姿が描かれています。
天地(あめつち)の神々による国づくりの御事跡には、厳しい自然の中で国を拓き、暮らしの基を築いてきた日本人の、平和を祈り調和を重んじる和の心が込められています。

柱(はしら)

木を神の依り代として大切にし、神を一柱(はしら)、二柱と数えた日本人

木とともに生きた日本人は、木に宿る神を尊び、木の命を大切にしました。

木を神の依り代として大切にし、神を一柱(はしら)、二柱と数えた日本人

木を神の依り代として大切にし、神を一柱(はしら)、二柱と数えた日本人

国土の約7割が森林に覆われた日本は、世界でも有数の森林大国として知られています。
森が維持されてきた背景には、日本人の木に対する特別な思いがありました。森は生態系を守り、あらゆる生き物を育みます。木はクリやトチノミなどの食料を与えてくれ、住居や舟、衣類などの材料にもなり、衣食住に欠かせないものでした。
樹齢を重ねる巨樹は永遠の生命力を感じさせます。やがて人々は、木に神の存在を感じ、神の宿る木を尊ぶようになりました。神を「柱」で数えるのは、社殿が建てられるようになる前、木の御柱に神々を招いて祭りが行われたことによると言われています。伊勢神宮の正殿床下に建てられる「心御柱(しんのみはしら)」は特別な御柱とされ、心御柱の奉建は式年遷宮の祭りの中で特に重んじられてきました。
遷宮の後、神宮の古材は、全国の神社の造営などに再利用されます。将来の遷宮のための植樹も行われてきました。神の宿る木を大切にしながら、人々は今を生き、命を未来につないでいくのです。

稲穂(いなほ)

神から授かった稲を育て実りを神に捧げることで、日本人は国を豊かにしました。

神から授かった稲を育て実りを神に捧げることで、日本人は国を豊かにしました。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)から授かった、天上の稲穂

天照大御神(あまてらすおおみかみ)から授かった、天上の稲穂

古来、日本は稲作を中心に発展し、瑞々しい稲穂がたわわに実る「瑞穂の国」と称されてきました。
お米は日本の気候風土でよく育ち、栄養価が高く保存もできるため、日本人にとってはまさに「命の根」(稲の語源)だったのです。
日本人がいかにお米を大切にしてきたかは、日本の神話からも紐解くことができます。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原から天降(あまくだ)る際、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は天上の田で育てた稲穂を授け、「地上で大切に育て継承しなさい」と命じました(斎庭〈ゆにわ〉の稲穂の神勅)。
つまりお米は、神から授かった聖なる食べ物であるのです。毎年、収穫したお米は神嘗祭(秋祭り)で神々に捧げられます。託された稲が今年も豊かに稔ったことを奉告し、感謝の心でお供えするのです。
飽食の時代にあっても、一粒の米に神を感じて感謝する日本人の清らかな心を失いたくないものです。

祭(まつり)

自然と共に生きていた日本人は、神々をもてなし祀ることで、感謝と畏敬の念を表しました。

自然と共に生きていた日本人は、神々をもてなし祀ることで、感謝と畏敬の念を表しました。

神々をもてなすことが原点とされる、日本の祭り

神々をもてなすことが原点とされる、日本の祭り

祭りというと賑やかで楽しい行事という印象がありますが、自然と共に生きていた日本人にとって非常に重要な意味を持っています。
祭りの語源には、神様を「祀る」「奉る」「待つ」など諸説あります。日本の祭りは多種多様ですが、その原点は「神を迎え、もてなし、お送りする」ことにあります。日本神話の中に祭りの起源とされる物語があります。
<須佐之男命(すさのおのみこと)の乱暴を見かね、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩屋に籠ると、地上が闇の世界となってしまう。神々が祝詞を唱えたり踊ったり楽しげに騒いで天照大御神を外にお出しすると地上に光が戻った>
という「天岩屋隠れ」のくだりで、この神々の儀式が祭りの象徴とされているのです。
自然や神やあらゆるものに感謝と畏敬の念を表し、生きる力をいただく――祭りには、謙虚に生きていた先人たちの心と願いが込められています。

杜(もり)

神々の鎮まる聖なる森は、あらゆるものを潤し、いのちを育んできました。

神々の鎮まる聖なる森は、あらゆるものを潤し、いのちを育んできました。

神々が鎮まる神聖なる場所「鎮守の杜(もり)」を大切にしてきた日本人

神々が鎮まる神聖なる場所「鎮守の杜(もり)」を大切にしてきた日本人

森は、生命の営みに欠かせない水を育み、様々な恵みを私たちに与えてくれます。
太古より森と共に生きてきた日本人は、樹木や岩、川や滝など、自然をめぐる営みに神々の息吹を感じ、そこを聖なる空間として崇めてきました。神社のことを「お社(やしろ)」とも呼びますが、この「やしろ」とは、もともとは神社の社殿のことではなく、祭礼期間に臨時の祭壇や社殿を設け、神々をお迎えして祭祀を行う清浄な空間のことを意味しました。
つまり、「屋(や)代(しろ)」です。そこは聖なる森に囲まれ、清らかな石や砂が敷きつめられたた空間でした。やがて穀倉などの建築技術が発達すると、常に神々が鎮まる社殿の様式が整えられました。
まさに神社とは、聖なる森の中に神々の鎮まる「鎮守の杜」なのです。伊勢神宮の森は、多種多様な樹木が生い茂り、清流・五十鈴川を育み、様々な生き物が生命のめぐりを営む、森厳なる空気に満ちています。
あらゆるものを潤し、育み、甦らせる「いのちの源流」たる場所、それが、神々の森なのです。

八百万(やおよろず)

生かされていることに感謝する。その謙虚な心が、八百万の神々につながっているのです。

生かされていることに感謝する。その謙虚な心が、八百万の神々につながっているのです。

自然と共生する日本人独特の感性、「八百万の神を感じる心」

自然と共生する日本人独特の感性、「八百万の神を感じる心」

私たち日本人の祖先は、自然の恵みに感謝し、自然に畏敬の念を抱き、自然の摂理に従いながら生きてきました。
その中で、世界に誇る豊かな感性が育まれていきました。人間も動物も、山、川、岩、草花などの自然も、太陽や月も、雨の一滴にいたるまで、あらゆるものに目に見えない不思議な気配や存在を感じ取ってきたのです。人々はそれを「神」と呼び、畏れ敬うようになりました。
日本には「八百万(やおよろず)の神」がいるといわれます。「八(や)」は数が多いことを表す言葉で、八百万は実際の数ではなく、それほど多いということを意味します。
現代を生きる私たちはとかく自分の力だけで生きていけると思いがちですが、共生やつながりの大切さが叫ばれる今、かつて我が国に息づいていたあらゆるものに生かされているという謙虚な考え方、そして八百万の神々を感じる豊かな心を見つめ直したいものです。

祈(いのり)

神に捧げる言葉には、偽りのない「まこと」の心と公への祈りが込められています。

神に捧げる言葉には、偽りのない「まこと」の心と公への祈りが込められています。

天下万民の幸せを祈り、神に捧げられてきた言葉「祝詞」

天下万民の幸せを祈り、神に捧げられてきた言葉「祝詞」

古くより、「言霊(ことだま)の幸(さきわ)う国」と称されてきた日本では、言葉には霊力が宿り、声に出し言葉を発することで、霊的な力が働くと信じられてきました。
日本人の「祈り」の原点は、神々に向かい言葉を捧げることであり、その目的は「個」の幸せではなく、自分がそれによって生かされている他者、共同体、さらには国家全体の安寧を願うことでした。
「祝詞(のりと)」は神職が神々に奏上する言葉で、その起源は神話に由来します。天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天岩屋(あまのいわや)にお隠れになってしまい、高天原が暗闇となった時、天児屋命(あめのこやねのみこと)は大御神のお出ましを願い、「祝詞」を奏上しました。再び高天原に光が戻ることを願う「公」の祈りでした。
利己心や不浄のない「まこと」の心から発せられるからこそ、祈りの言葉は美しいのです­。

産霊(むすひ)

自然に抱かれ生きた日本人は、万物を産む霊妙な力を感じ、神の力として尊びました。

自然に抱かれ生きた日本人は、万物を産む霊妙な力を感じ、神の力として尊びました。

万物を産み出す産霊の力を尊び、逞しく生きてきた日本人

万物を産み出す産霊の力を尊び、逞しく生きてきた日本人

冬、凍えた大地は、春になると新たな生命を芽吹かせます。
大自然の営みを見つめ、その懐に抱かれ生きていた日本人は、万物を産み出す働きに大いなる力を感じ、それを神の力として尊びました。
日本の神話によると、天地(あめつち)が開かれた時、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)の三柱の神があらわれ、その働きによってよろずのものが産まれたとされています。この三神をはじめとする天つ神から「この漂える国をつくり固め成せ」と命じられた伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)の二神は、大八島(おおやしま)と六つの島々を産み、さらに海・川・風・山・木・野・火など森羅万象の神々を産みました。
人々は、神々、国土、自然、生命あるすべての存在を、万物を産む産霊(ムスヒ。産巣日とも書く)の力によって産み出されたと考えていたのです。いただいた命だからこそ、生命力を湧き上がらせ、人々は力強く生きてきたのかもしれません。

祓(はらい)

生命を尊んだ日本人は、身と心の穢れを祓い、清らかさを大切にしました。

生命を尊んだ日本人は、身と心の穢れを祓い、清らかさを大切にしました。

生命が輝くことを願い、禊祓(みそぎはらえ)などで身心を清めてきた日本人

生命が輝くことを願い、禊祓(みそぎはらえ)などで身心を清めてきた日本人

自然の恵みの中で生きてきた日本人は、神々の産み出した生命がより輝くことを願ってきました。
そのために人々は、常に身と心を清め、穢れを祓い、心身ともに清らかに生きようとしてきたのです。現在でも、神社の参拝にあたり手水舎で手や口をすすいでお清めをしますが、これらの禊祓の行事は、日本の神話にその起源があります。亡き妻・伊邪那美命(いざなみのみこと)に会うために黄泉の国に出向いた伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、そこで死の穢れにふれたため、「筑紫の日向(ひむか)の橘の小門(おど)の阿波岐(あわき)の原」で身を清めました。そのとき、杖や衣服を投げうち、水に入って身をすすぐと次々に神々が生まれました。左目をすすぐと天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、右目をすすぐと月読命(つくよみのみこと)が、鼻をすすぐと須佐之男命(すさのおのみこと)が誕生したのです。
穢れを祓い、清らかに生きることが何よりも尊いことであると考えてきたのです。

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