遥かに伊勢の神宮を拝み奉る 創建以来の内宮・外宮二社殿形式
神社の由来
当神社の創建は、江戸時代初期の元和年間(1615~1624)のことであると伝えられております。
元和六年(1620)伊勢の国の人・山田曾右衛門と鎌倉の人・湯浅清左衛門は、大山参詣の途中、千手原という松原に一夜の宿を求めたところ、水音を聞いて開墾可能であることを悟り、当時このあたりを支配していた中原代官成瀬五左衛門の許可を得て、開墾に着手したのです。そこにだんだんと粕屋あたりより人が集まり現在の伊勢原市街の基礎が形成されました。曾右衛門は、この新しい開拓地の鎮守として、故郷である伊勢の神宮の神様を勧請し、奉祭することにいたしました。こうして創建された当神社の御祭神に由来して当地は伊勢原と呼ばれるようになりました。
伊勢の神宮では、天照皇大御神が内宮に、豊受姫大神が外宮に、それぞれ奉祭されています。当神社もこれにならい両宮が別々に奉祭されています。全国でも珍しい社殿構造は、江戸時代に編纂された「新編相模風土記稿」にもみられ、創建以来の伝統として現在も受け継がれております。当神社境内には神宮遥拝所が設けられ、当地より伊勢の神宮をお参りすることができます。
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string(198) "ご祭神
内宮(ないくう)…天照皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)
外宮(げくう)…豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)"
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天児屋根命(あまのこやねのみこと)を御祭神とし皇室の御祖先天照皇大御神を奉祭する神社では、皇室を代々摂政関白としてお助けした藤原氏の氏神春日神社があわせておまつりされていることに由来します。
境内社 稲荷総社 宇迦之御魂神(ウカノミタマ)をご祭神として奉祭。五穀豊穣、商売繁盛、病気平癒の神様として篤い信仰を受けています。"
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このシンボルマークは当宮の内宮と外宮を表現したものです。丸と四角・赤と白・人と自然をイメージしてデザイン化されています。「ひとりよりふたり」「ひとつよりふたつ」のテーマによりお互いが存在して、はじめてつり合いがとれ、平穏な世の流れを生み出します。"
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ご祭神
内宮(ないくう)…天照皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)
外宮(げくう)…豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
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境内社 春日神社
天児屋根命(あまのこやねのみこと)を御祭神とし皇室の御祖先天照皇大御神を奉祭する神社では、皇室を代々摂政関白としてお助けした藤原氏の氏神春日神社があわせておまつりされていることに由来します。
境内社 稲荷総社 宇迦之御魂神(ウカノミタマ)をご祭神として奉祭。五穀豊穣、商売繁盛、病気平癒の神様として篤い信仰を受けています。
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シンボルマーク「トキオコシ」
このシンボルマークは当宮の内宮と外宮を表現したものです。丸と四角・赤と白・人と自然をイメージしてデザイン化されています。「ひとりよりふたり」「ひとつよりふたつ」のテーマによりお互いが存在して、はじめてつり合いがとれ、平穏な世の流れを生み出します。
【神前式のご案内】
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伊勢原駅近くにあり、内宮・外宮の二社殿を持つ神社。木の香りが清々しい社殿での挙式は1日1組限定。巫女による古式の「豊栄の舞」も執り行われ、神前でふたりの門出とこれからの幸せを真心込めて祈ってくれる。
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神前結婚式 初穂料:30,000円
※上記初穂料には、祈願料・控室使用料が含まれます。
※神職1名・巫女2名の奉仕になります。
結婚式は、結婚するふたりの「心」と「心」を繋ぎ、
ご家族同士の「心」と「心」をも繋ぐ大切なもの。
おふたりの、ご夫婦としての出発は、
ぜひ、神社の結婚式で。