~御鎮座二千年の由緒ある越中国の一ノ宮~
神社の由来
御鎮座の年代は、景行天皇の御代と伝えられており、太古悠遠の時代に属します。
天武天皇の御代に蝗害により勅使を遣わされてより後、光仁天皇宝亀十一年(七八〇年)従五位に、さらに清和天皇貞観元年(八五九年)正三位に、安徳天皇治承四年(一一八〇年)に正一位に列せられてました。当時は多くの社領荘園を有していましたが、現在は「神子畑」という地名だけ残っています。また、「大宮司」「勧学院」など住時の面影を偲ぶ地名も残っています。
戦国時代に入り、往古の繁栄は何処へ。社頭は荒廃し、人心も乱れた時代でした。江戸時代になると、加賀藩主前田家の篤き崇敬の誠心のもと、御神威は高揚し、明治以降は明治六年に県社、大正十二年に国幣小社となり、翌十三年、摂政宮(昭和天皇)の御使が御参拝されるなど皇室国家からも驚く待遇されました。昭和二十年に大東亜戦争終結となりましたが、戦前戦後を通し、この地域の守護神として崇敬され今日に至っています。
また当神社において最初の神前結婚式は、昭和六年三月二日氏子の石岡富子さんが新婦として挙行されました。
髙瀬神社では初めての結婚式という事もあり、多くの参観者があったと当時の日誌や社報に記録されております。
その後も多くの神前結婚式が行われ、今では三世代続いて当社で結婚式をされたご夫婦も少なくありません。
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主祭神の大国主命(大己貴命)は福の神・縁結びの神様です。この神様は素戔嗚尊の御子にて、出雲の国より越中の国にお渡りになり、悪神を平げ国土を開拓して、農耕医術の法をお授けになるなど、民生の安定に広大な御徳を残しになりました。
天活玉命は生玉の神とも申し、天孫降臨のとき供奉せられ、人の命を活し給ふ神様であります。五十猛命は植林事業に、殊に御高徳な神様であります。"
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御神徳(神様の功徳)
主祭神の大国主命(大己貴命)は福の神・縁結びの神様です。この神様は素戔嗚尊の御子にて、出雲の国より越中の国にお渡りになり、悪神を平げ国土を開拓して、農耕医術の法をお授けになるなど、民生の安定に広大な御徳を残しになりました。
天活玉命は生玉の神とも申し、天孫降臨のとき供奉せられ、人の命を活し給ふ神様であります。五十猛命は植林事業に、殊に御高徳な神様であります。
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この地で二千年の歴史をもつ髙瀬神社は、縁結びの神様である大国主命(大国様)をお祭りする神社として、多くの神前結婚式を執り行ってきました。挙式にはご親族のみではなくご友人にもご参列をいただき、神人一体となって新郎新婦の多幸を祈ります。
【神前結婚式のご案内】
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~結びの杜の結婚式~
日常を隔てる境内で、玉砂利を踏みしめて歩く参進の儀に始まり、社殿に広がる雅楽の調べの中
厳かな神前挙式が執り行われます。
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二人が向き合い、見つめ合うことで感じる「結びつくこと」のかけがえのなさ
大国様の「結び」の御神徳により新郎新婦だけではなく、両家の絆も固く
結ばれます。
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~世界に一つだけの物語~
一日一組限定のおもてなし
すべては一組の新たな夫婦の幸福のために
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境内に隣接する「新参集殿」はテラスから暖かな光が差し込む完全なプライベート空間
歓談を中心にゲストとの交流を大切にした和やかなパーティが実現します。
結婚式は、結婚するふたりの「心」と「心」を繋ぎ、
ご家族同士の「心」と「心」をも繋ぐ大切なもの。
おふたりの、ご夫婦としての出発は、
ぜひ、神社の結婚式で。