古式ゆかしく、凜として…
「縁結び」の神様が見守る繋がりが続く神社
神社の由来
天暦5年(951年)武州豊島郡一ツ木村(人次ヶ原)に祀られ、1000年以上の歴史を有します。創祀から100年後の治暦2年、関東に大旱魃が発生、降雨を祈願するとそのしるしがあり、以来よく祭事が行われました。
江戸時代に入り、幕府の尊信は篤く、8代将軍 徳川吉宗公が享保元年(1716年)、将軍職を継ぐに至り、同14年(1729年)に老中岡崎城主水野忠之に命じ、現在地(忠臣蔵・浅野内匠頭の夫人、瑶泉院の実家・浅野土佐守邸跡)に現社殿を建立、翌15年(1730年)4月26日に遷座が行われ、28日に将軍直々のご参拝がありました。
以降、14代家茂公まで、歴代将軍の朱印状(港区文化財)が下附されました。
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string(433) "現在の社殿は、徳川八代将軍吉宗公が1729年に造営をしたもので、勝海舟もお参りをした由緒正しい神社。赤坂の豊かな緑に包まれた厳かな社殿で、雅楽の生演奏の生、心に残る格式での高い神前式が叶うことができる。また参集所には列席者様控室や着付室などの設備が充実をして、列席者様に安心をしていただけます。"
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string(590) "【御櫛預けの儀】
古より櫛は女性の分身とされ、特別な力が宿っていると考えられていました。日本神話のなかで怪物ヤマタノオロチに生贄にされそうになる奇稲田姫命を、素盞嗚尊が櫛に変え髪に挿して戦いに臨み、見事退治されたという記述があります。この「縁」により二柱の神様はめでたく夫婦の契りを結ばれました。この神話に基づいた儀式を執り行うことで、お二人のお誓いを神様とご参列の皆様に立ていただきます。"
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string(589) "【大己貴命(大国主命)と縁結び】
出雲では、神無月(10月)を「神在月」と呼びます。その由来は全国の八百万神々が一同に出雲に会し、明くる年のすべての「縁」を結ぶご相談をされるということにあります。その中心を務められるのが大己貴命(大国主命)であり、文献・絵画など様々な場面に登場し現代に伝えられています。
これが、古来より大己貴命が「縁結び」の神様として信仰されている所以です。
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現在の社殿は、徳川八代将軍吉宗公が1729年に造営をしたもので、勝海舟もお参りをした由緒正しい神社。赤坂の豊かな緑に包まれた厳かな社殿で、雅楽の生演奏の生、心に残る格式での高い神前式が叶うことができる。また参集所には列席者様控室や着付室などの設備が充実をして、列席者様に安心をしていただけます。
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【御櫛預けの儀】
古より櫛は女性の分身とされ、特別な力が宿っていると考えられていました。日本神話のなかで怪物ヤマタノオロチに生贄にされそうになる奇稲田姫命を、素盞嗚尊が櫛に変え髪に挿して戦いに臨み、見事退治されたという記述があります。この「縁」により二柱の神様はめでたく夫婦の契りを結ばれました。この神話に基づいた儀式を執り行うことで、お二人のお誓いを神様とご参列の皆様に立ていただきます。
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【大己貴命(大国主命)と縁結び】
出雲では、神無月(10月)を「神在月」と呼びます。その由来は全国の八百万神々が一同に出雲に会し、明くる年のすべての「縁」を結ぶご相談をされるということにあります。その中心を務められるのが大己貴命(大国主命)であり、文献・絵画など様々な場面に登場し現代に伝えられています。
これが、古来より大己貴命が「縁結び」の神様として信仰されている所以です。
結婚式は、結婚するふたりの「心」と「心」を繋ぎ、
ご家族同士の「心」と「心」をも繋ぐ大切なもの。
おふたりの、ご夫婦としての出発は、
ぜひ、神社の結婚式で。